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京都地方裁判所 昭和61年(わ)106号 判決

本籍

京都市伏見区京町大黒町一〇七番地

住居

右同所

貸家業

星野治郎

昭和一一年七月五日生

右の者に対する相続税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官中村雄次出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人は無罪。

理由

(公訴事実)

本件の公訴事実は、

「被告人は、星野孟の二男であるが、全国同和対策促進協議会京都府連合会本部会長笠原正継及び司法書士大西勝則らと共謀の上、実父の右星野孟が昭和六〇年四月一一日死亡したことに基づく被告人の相続財産にかかる相続税を免れようと企て、被告人の実際の相続財産の課税価格が四億六、五〇五万五、二九二円で、これに対する相続税額は二億四、七二四万九、五〇〇円であるにもかかわらず、被相続人の右星野孟が全国同和対策促進協議会京都府連合会本部(会長笠原正継)から七億円の債務を負担しており、被告人においてそのうち三億六、三〇〇万円を継承したと仮装するなどした上、同年一〇月二二日、京都市伏見区鑓屋町所在所轄伏見税務署において、同署長に対し、被告人の相続財産の課税価格が一億二、九四七万七、二八二円で、これに対する相続税額は四、七〇六万八、三〇〇円である旨の内容虚偽の相続税の申告書を提出し、もって不正の行為により被告人の右相続にかかる正規の相続税額二億四、七二四万九、五〇〇円との差額二億一八万一、二〇〇円を免れたものである。」

というものである。

(当裁判所の判断)

一  本件の争点

前記公訴事実のうち、星野孟が昭和六〇年四月一一日に死亡したこと、被告人が右孟の二男であること、同年一〇月二二日京都市伏見区鑓屋町所在の所轄伏見税務署において同署長に対し提出された被告人の相続税申告書をもって、被告人の相続財産の課税価格が一億二九四七万七二八二円で、これに対する相続税額が四七〇六万八三〇〇円である旨の申告がなされたこと、及び右申告書において、「星野孟が全国同和対策促進協議会京都府連合会本部(会長笠原正継)から七億円の債務を負担しており、被告人がそのうち三億六三〇〇万円を承継した」旨の申立もなされたが、実は右債務は架空のものであったことは、いずれも証拠上疑問の余地がなく、被告人・弁護人においても争わない。

検察官は、本件の犯則金額として、右架空債務の被告人承継分、前記孟の死亡前後に被告人が自己や妻の名義に切替えた孟の預金三九二八万七九六四円等を主張し、被告人及び弁護人は、これらにつき被告人には相続税を逋脱しようとする犯意がなかった旨主張する。

本件の主たる争点は、右架空債務計上による相続税の虚偽申告が、公訴事実にいうように、被告人が全国同和対策促進協議会京都府連合会本部(以下同対京都本部という)の会長笠原正継(以下笠原という)及び司法書士大西勝則(以下大西という)らと共謀のうえで相続税を免れるべくなしたものであるか、それとも、被告人・弁護人が本件公判で主張するように、被告人としては正規の額による申告手続を大西に依頼しておいたのに、大西が、被告人に無断で笠原と相い謀り不正の利得を得ようとして行なったものであるかにある。

以下、これらの争点について、当裁判所の判断を述べる。

二  本件虚偽申告がなされた経過

まず、本件相続税の申告がなされた経過をみるに、関係証拠を総合すると、次のような事実が認められる。

(1)  被告人は、京都府立木津高校農業科を卒業し、昭和三一年から同府立桃山高校に事務職員として勤めていたが、肝臓病を患って体調が思わしくなくなったため、昭和五九年三月に退職し、その後は家にいて、父の営む農業や一〇数軒の貸家の管理を体調の許す範囲で手伝っていた。被告人の父孟は、一〇年余り前に胃の手術をして以来健康がすぐれなかったが、昭和六〇年三月二〇日過ぎ急に体調が悪化して入院し、そのまま回復することなく同年四月一一日に死亡した。同人の相続人は、同人の妻(被告人の母)一子、被告人、その妹原田廸世及び同大濱宏子の四名である。

(2)  被告人は、右父の入院後の同年三月二五日から五月一日の間に、孟名義の預金中総額四六九六万七三四六円を自己及び家族名義(三四二八万七九六四円は被告人名義、五〇〇万円は妻名義、七六七万九三八二円は母一子名義)の預金に切り替えた。

(3)  同年七月三一日、被告人が伏見税務署に赴いて相続税について相談したところ、係官から、相続財産が約一〇億にのぼる星野家の場合、四人の相続人が支払うべき相続税の総額は、概算二億四〇〇〇万円ないし二億五〇〇〇万円であることを告げられ、なお、申告手続については、納税協会か税理士に相談するように言われた。

(4)  その翌日の八月一日夜、以前から星野家の不動産の管理や処分に関わっていた不動産業者上田宣男が、伏見区内に司法書士事務所を構える大西及びその妻で行政書士でもある大西千枝子を被告人宅に連れて来て紹介し、被告人に対し、相続登記の手続、更には相続税の申告手続をも大西に依頼するよう勧め、大西夫妻も是非やらせてほしいと申し出た。

この大西は、その前年、伏見の資産家松井利一の死亡に伴う相続税申告手続等を、相続人の代表である松井宏次から受任するや、前記笠原と相い謀り、本件と同様架空債務を計上する方法で不正な過少申告を行ない、松井宏次から納税のための金三億五〇〇〇万円を受取りながら、笠原に三億円で納税を請負わせて差額五〇〇〇万円を自分のものとし、更に笠原から二五〇〇万円の謝礼をも受け取って、多額の利得を手中にしていたが、被告人は、大西がそのようなことをしていることを全く知らなかった。

前記のような大西の申し出に対し、被告人は、その日は諾否を明らかにせず、さしあたり、相続不動産全部の登記簿謄本の取寄せ方のみを大西に依頼しておいたところ、翌二日夜、大西がかなりの数にのぼる登記簿謄本を全部取り揃えて届けて来た。被告人は、大西の仕事ぶりの早いのに感心するとともに、大西がその場で、相続財産が一〇億円であれば配偶者と子供三人の場合相続税額がいくらになるかの計算までして説明してくれるので、同人を信頼できる人物であると思い、別段他に依頼するあてもなかったことから、相続登記の手続と共に相続税の申告手続をも同人に依頼することにした。

(5)  被告人は、相続税支払資金を捻出するため、遺産のうちの伏見区毛利町にある土地を上田宣男の仲介で売却することとし、その土地を自分と母一子の名義とする遺産分割協議書の作成を大西に依頼するなどしたのち、同年八月二〇日、大西事務所において、環協株式会社を買主とする右土地の売買契約(代金二億八六四五万円)を締結し、手付金として三〇〇〇万円を受け取った。

なお、孟の遺産全体を相続人間でどのように分けるかについては、被告人と二人の妹との間に意見の相違があったりして、簡単には協議がととのわず、相続人ら関係者間で話合いが繰り返されたのち、九月一五日に至りようやく分割協議が成立した。

(6)  それから間もないころ、大西は、宇治市槙島町本屋敷一〇二の二、カサハラビル二階にある同対京都本部に笠原を訪ね、同人に「星野という家の相続税について、近く正式にお願いするから、松井宏次のときと同様、同対京都本部の方で申告手続をとってもらいたい」旨申し入れる一方、知合いの税理士稲石文男(前記松井の件にも関与。)に関係書類を渡して、前記の遺産分割協議結果に基づく相続人四人の相続税申告書の作成方を依頼し、次いで、九月末か一〇月初めころ、右申告書(相続税総額を三億〇四九二万八一〇〇円とする。)が出来上ると、直ちにその写しを持って前記同対京都本部に赴き、笠原に対し、「税額が約三億円なので、二億円で申告手続を請負ってもらいたい。」旨依頼し、笠原は応諾した。そこで大西は、「では、この申告書写しを基にして、実際に申告する税額と、星野孟が同対に負っていたものとして計上する架空債務の額とを決めて連絡してほしい。そうしてくれれば、申告書等は私の方で書き直して整える。」旨申し入れ、笠原はこれを了承した。

笠原は、大西が去ったあと、同対京都本部の事務局長黒宮と相談して申告税額を約七〇〇〇万円とすることを決めたうえ、知り合いの税理士中田久弘を呼び、前記申告書写しを渡して、「正規の税額が約三億円のところを約七〇〇〇万円になるようにしたいので、どれだけの債務があればそうなるか、計算してくれ。」と指示した。中田は、右写しを持ち帰って計算し、二、三日のうちに「架空債務の額を、星野一子の分三億三七〇〇万円、被告人の分三億六三〇〇万円、計七億円にすればよい。」旨を笠原に伝え、笠原は、直ちに右写しの債務欄を右架空債務を加えて訂正したものを大西に渡した。

(7)  ところが、その直後の同年一〇月五日、さきに出来ていた遺産分割協議が、被告人妹らの異議に基づき、従前被告人と母一子の共有とすることにしていた各不動産について、これをいずれもどちらかの単独所有とすることに変更された。

そこで大西は、翌六日、前記稲石税理士に対し、右変更された遺産分割協議の内容に基づき相続税の計算をしなおして申告書を作成するよう依頼し、稲石はこれに応じて正規の計算による申告書(相続税総額を二億九二九三万一〇〇〇円とする。)を作成し、翌七日夕刻、これを大西に届けた。このとき、大西は、更に稲石に対し、右申告書とは別に、正規の計算結果の上に笠原から指示されたとおりの架空債務を加えて計算しなおした申告書を作成するよう依頼した。そこで稲石は、翌八日、右架空債務を計上した税務署提出用の申告書(相続税総額を七〇〇七万七三〇〇円、被告人の相続税額を四七〇六万八三〇〇円とする。)を作成し、翌九日午前中にこれを大西事務所に届けた。

大西は、一方で、そのころ自己の事務員石場にタイプ浄書させて、前記変更後の遺産分割協議内容に従ったその協議書を作成した。

(8)  一〇月九日夕方、大西は、被告人をはじめ各相続人を大西事務所に招き、遺産分割協議書(数通)への署名と押印、及び相続税申告書への押印を求め、右の署名は各相続人が行なった(但し、母一子の分については被告人の叔父星野種司が代筆した)が、押印については、すべて大西が代わって行ない、しかもその際、大西は、架空債務を計上した前記税務署提出用の申告書のほか、前記正規の計算による申告書にも押印した。

(9)  その後、同月中旬ころ、大西は、義弟の大西弘一をして、石場事務員使用のタイプライターを用いるよう指示して、前記のようにすでに各相続人の署名押印を得て完成している遺産分割協議書の項の後の空白部分に、7項として、「被相続人星野孟の借入金(全国同和対策促進協議会より金七億円)を次の通り承継する。星野一子金参億参千七百萬円也星野治郎参億参千参百萬円也」という文言を記載させた。

(10)  本件相続税の支払資金をつくるために売却した前記毛利町の土地の代金受渡し日は、本件相続税の申告・納付期限が一〇月一一日である関係で、当初その一〇月一一日と約定されていたが、その三日ほど前になって買主側の申し入れにより同月二二日に延期された。

同月二一日、大西は、被告人に電話し、都合で自分は明日の代金受渡しの場に出られないので、代金をもらったら、税金分二億四〇〇〇万円と登記費用分五〇〇万円を大西宅に届けるよう告げた。

(11)  同月二二日午前一〇時、被告人は、大西事務所において、買主環協株式会社から、すでに受取っている手付金を差引いた売買代金残額二億五六四五万円を、内二億円は同額面の保証小切手一通で、あとの五六四五万円は現金で受け取り、一旦自宅に持ち帰ったあと、大西の自宅に赴き、同人に前記保証小切手と現金四五〇〇万円を渡したが、当時体調不良で病院通いの身であった被告人は、右渡した直後喀血して意識を喪い、直ちに救急車で第一日赤病院に運ばれ、入院した。

一方、大西は、即日、笠原の許に赴いて同人に右二億円の保証小切手と前記税務署提出用の相続税申告書を渡した。

(12)  笠原は、右同日、大西から受取った申告書の作成税理士欄に「京都府宇治市槙島町本屋敷一〇二-二、全国同和対策促進協議会京都府連合会本部」と刻したゴム印を押捺するなどして記名押印したうえ、右申告書を伏見税務署に提出して申告手続を行ない、また、前記保証小切手を一旦伏見信用金庫向島支店の自己の口座に入金し、翌二三日、そこから相続税として七〇〇七万七〇〇〇円、無申告加算税・延滞金として七一六万円を伏見税務署の口座に振り込んで納付するとともに、大西に対し謝礼として現金二〇〇〇万円を渡した。残余の一億円余りは、その後笠原において自己の用途に費消した。

(13)  大西は、右一連の経過において、被告人に対し、本件相続税の申告手続を笠原といういわゆるえせ同和の関係者に依頼した事実を知らせたことはなく、また、被告人から税金分として受け取った二億四〇〇〇万円のうち笠原に渡した残りの四〇〇〇万円を自己の手元にとどめておきながら、そのことを本件発覚に至るまで一切被告人に告げていなかった。

以上の認定に反する証拠はない(もっとも、前記(9))の事実に関し、大西は、証人として、遺産分割協議書に架空債務の承継条項を記入したのは各相続人の署名をもらうより前であった旨証言するが、大西が捜査官に対する供述調書においては前記認定に沿う供述をした形跡があることや、タイプ記入をした当人である大西弘一がその検察官に対する供述調書で前記認定に沿う供述をしていること、更には、右遺産分割協議書自体から明らかな、架空債務承継条項のいかにも不自然な記入体裁などに徴し、大西の前記証言は全く信用できない。)。

三  架空債務の計上による脱税の犯意について

前記認定の一連の事実によれば、本件相続税に関し、大西と笠原が、共謀のうえ、架空債務を計上する方法による脱税を企て、これを実行したことは明らかである。

そこで、被告人において、大西らが右のような方法で過少申告を行なうことを認識し認容していたか否かについて検討するに、この点につき、被告人は、検察官に対する一連の供述調書において、具体的方法までは大西から知らされていなかったが、大西が過少な額で申告することについての認識・認容は有していた旨自供している反面、当公判廷においては、「私は、大西に対し正規の相続税の申告を依頼したものであって、私としては脱税の意図など毛頭なかった。税務署に相談した段階で相続税額は二億四〇〇〇万円ないし二億五〇〇〇万円であると聞いていたので、大西に渡した二億四〇〇〇万円は正規の相続税額であると思っていた。税務署提出用の、相続税総額が七〇〇〇万円余りと記載された申告書に捺印する際、今思えば迂闊だったが、その内容を見なかった。相続税支払のために売却した毛利町の土地の譲渡所得税まで含めて右二億四〇〇〇万円でやってもらうことを大西に依頼したようなことはない。右譲渡所得税については、改めて後日寝小屋にある土地を売却し、その代金で支払うつもりだった。結局、私としては、相続税のみについて、正規の申告を依頼したものであるのに、大西が、笠原らと謀り、不法な利得を得ようとして、私を騙し、勝手に脱税に及んだものである。」旨供述しているところ、当裁判所は、以下に示すとおり、被告人の自供調書やこれに沿う大西証言は信用性に疑問があり、被告人の右のような公判廷での供述を排斥して被告人に前述の認識・認容があったものと認定することは、証拠上困難であると考える。

(一)  被告人が大西に脱税を図ることを依頼したか否かについて

1 検察官は、被告人の自供調書及び大西証言に基づいて、「被告人は、大西から『相続税の申告と土地を売った二億八六四五万円に対する譲渡所得税(約一億円)の申告を、合わせて二億四〇〇〇万円でやってやる』と、不正申告による相続税等の脱税を請負ってやる旨持ちかけられた。被告人は、右両税を併せれば約四億円を申告納税する必要があり、大西において、自己の申告に際し遺産総額の圧縮ないし諸経費の水増し等の不正な方法により脱税を企図しているのを知りながら、税金を免れるためこれを承諾して、同人に申告手続を依頼した。」旨主張する。

しかしながら、検察官が右主張の根拠とする被告人の自供調書及び大西証言の信用性には大きな疑問がある。すなわち、

第一に、被告人の検察官に対する昭和六一年一月一七日付供述調書には、「九月ころ大西夫妻が来て、相続税の申告と土地を売った二億八六四五万円にかかる譲渡所得税も含めて総額で二億四〇〇〇万円でやってやると言った。」旨の記載があり、これをふえんするものとして、同月三一日付供述調書では、右の「九月ころ」というのが九月二一日のこととされたうえ、この日に大西が検第二五号証添付資料1のメモを示して、相続財産が一〇億円の場合には、その税額が二億五八〇〇万円になる旨の説明をして、さきの調書にあるような申し入れをしたこととなっている。しかしながら、右のメモは、九月二一日の時点でなら当然判っている毛利町の土地の売却代価を「↓」印で表示し、具体的に計算できる右土地の譲渡所得税を「十α」と表示し、また、すでに(前記変更前の)遺産分割協議書も作成されていて税理士に頼めば比較的容易に計算できる相続税の額を「二億五八〇四万九四〇〇円」と書き、同じ協議書に基づいて大西自身が稲石税理士に算出させた税額三億〇四九二万八一〇〇円と大きく隔たっている(そのためか、大西は本件での証言においては、右メモの金額のうち二億円は相続税で、五八〇四万円は譲渡所得税であるなどと不合理極まる説明を試みている)など、内容からして九月二一日に作られたとは到底思えないものであり、したがってこのメモは、被告人が公判で述べているとおり、八月二日の夜、大西が登記簿謄本を被告人方に持参した際に、すなわち、まだ相続財産の総額がはっきりせず、遺産分割の協議もできていない段階で、大西が一応の説明を被告人にするために作成したメモであると認めるのが相当であり、してみると、右メモが九月二一日に作成されたものとして供述を構成している前記自供調書は、それだけですでににわかに信用し難いものといわなければならない。

第二に、右メモの作成者である大西の、同メモの作成経緯に関する証言は甚だ曖昧な内容のものであるが、それでも、「このメモを見せて被告人に説明したのは、二億四〇〇〇万円で引き受けるという話をしたのとは別の機会であり、それより前である。」旨確言している。のちに述べるように、大西が被告人に二億四〇〇〇万円で引き受ける旨申し入れたということ自体信用し難いのであるが、その点はしばらく措いて、右の大西証言に照らしても、右メモによる説明と二億四〇〇〇万円で脱税を引き受けるという話とを結びつけて記載している被告人の自供調書の信用性は疑わしく思われる。

第三に、被告人の自供調書の内容に沿う他の証拠として大西証言があり、それは、「私が被告人に、相続税と譲渡所得税の両方で二億四〇〇〇万円ですませてあげると話すと、被告人は、あゝそうですか、助かりますわ、と答えて了承した」というものであるが、この証言は、次の理由により到底信用することができない。すなわち、大西証言は、右の二億四〇〇〇万円という金額の根拠に関し、「笠原に対し、星野の相続税と譲渡所得税の双方の申告を依頼したところ、笠原は二億四〇〇〇万円でやってやると言った。」「大体二億がそのうちのいわゆる相続税となり、あとの四〇〇〇万円が譲渡所得税というふうであった」というのであるが、これに対し笠原は、検察官に対する供述調書において、大西が右と同旨の弁解をしていることを指摘しての検察官の発問に答えて、「それはちがいます。譲渡税まで連合会本部に頼むという話はその時出ませんでしたし、その後も出ておらず、私の方としては、相続税の申告を二億円でやってくれと言われ、引き受けただけです。」と述べ、大西の右のような話は嘘であると断言しているところ、この笠原供述の信用しうべきことは、大西が笠原に本件の申告を依頼する際、稲石税理士に作成させた相続税申告書の写しのみを持参し、譲渡所得に関する書類は何ら持参しなかったこと、また、笠原が、二億円で引き受けた理由について、大西が正規の税額が約三億円となっている申告書写しを持参して、税額が約三億円なので二億円で申告手続を請負ってくれと言った旨述べたうえ、「ですから、大西勝則さんの方で二億円で引き受けて欲しいと言われた際、それまでのやり方と同じ正規の税額の三分の二で引き受けるというのと同じでしたので、・・・・引き受けたものでした」と供述しており、これがまことに自然で間然するところのないものであることと、などに徴して明らかである。しかも、笠原供述によれば、大西が請負金額を明示した右依頼をして来たのは、九月末か一〇月初めころであったというのであり、この日付の点は右申告書の作成時期に関する稲石税理士の供述とも合致する。してみると、大西の、「笠原が相続税と譲渡所得税とを合わせて二億四〇〇〇万円で引き受けると言ったから、自分も被告人に右両税を合わせて二億四〇〇〇万円で引き受けると言ったのである」という趣旨の証言は、全く信用できないものといわざるをえず、ひいては、あたかもこの大西の言い分に合わせたが如き被告人の自供調書の信用性も大いに疑わしいとせざるをえない。

第四として、そもそも大西が、相続税と譲渡所得税を合わせた納税を二億四〇〇〇万円で引き受けるようなことは、およそありえない事柄であると思われる。けだし、二で認定した一連の経過事実に照らせば、大西が、松井の件におけると同様、本件においても数千万円の利得を自己の手中に納めようと図ったことが容易に推察されるところ、毛利町の土地の譲渡所得税は正規には約一億円に達し、しかも、これについては、相続税の場合と異なり、架空債務を計上するわけにはいかず、したがって課税所得額を圧縮することが困難であるから、これをも併せて引き受けて笠原に申告手続を依頼すると、果して笠原が二億四〇〇〇万円で応じてくれるかどうかすら疑問であり、かりに請負つてくれても、大西が手中にできる利得は全くないか、あっても僅少になってしまうこと火を見るより明らかだからである。にもかかわらず、大西が、譲渡所得税の申告をも被告人から依頼されて引き受けたなどと供述するのは、さきに二の(13)で認定した四〇〇〇万円を手中にとどめておいたことの理由付けを思案し、翌年三月に納あることになる譲渡所得税に関する預り金であると言い逃れる企図に出たものであろうこともまた容易に推察しうるところであり、したがって、この点からも譲渡所得税の申告をも引き受けた旨の大西証言は信用のおけないものである。

2 検察官は、被告人が右譲渡所得税の申告をも大西に委任していたことの証左であるとして、

〈1〉 本件相続税の申告手続に関して作成された委任状(検第25号証添付の資料2)に「本件については後日異議の申立は致しません。」という文言が記載されており、これは、大西と被告人の関係が、両税合わせて約四億円のところを二億四〇〇〇万円で任かせ、申告税額をいくらにしてどれ位さやを抜くかは大西に委ねられていたものであったため、後日この点をめぐって紛議を起こさぬため、あらかじめ被告人から異議を申し立てない旨の一札をとったものと解される。

〈2〉 被告人は、毛利町の土地売買に関して税務署から送付された「譲渡内容についてのお尋ね兼計算書」(税務署に回答することを要する書面)を、右土地の売買契約書正本と共に大西に渡しているが、これは、譲渡所得税の申告を依頼してあればこその行為と考えられる。

〈3〉 検第25号証添付の資料1の説明用メモにも、譲渡所得税に関する記載がなされていると主張する。

しかしながら、〈1〉の点については、該委任状は、被告人の押印こそあるものの、受任者の氏名も作成日付もなく、委任事項の記載も甚だ乱雑で、すべての文言が当初から書かれてあったかどうか、事後に書き加えられた部分がないか、疑われる体裁のものであり(そのためか、委任事項の中には「並びに昭和六〇年度の所得税確定申告作成」という、譲渡所得税の申告も含むとも解しうる文言があるのに、検察官はこれを被告人が同税の申告をも大西に委任したと認めるべき根拠として主張していない。)、かかる委任状の記載文言をもって検察官のいうように解することは到底できない。次に〈2〉の点については、大西が上田宣夫とともに毛利町の土地の売買契約締結についてその手続等を委ねられ、これに深く関与してきたものであることは証拠上明らかであり、そういう立場にある者としての大西に対し、被告人が税務署からの照会にも当然大西が回答してくれるものとして関係書類を渡すことは何ら異とすべきことではなく、そのことをもって被告人が大西に譲渡所得税の申告をも委ねた証左とすることはできず、また、売買契約締結の諸手続を委任しながらその売買に伴う譲渡所得税の申告を委任しないのはおかしいともいえない。更に〈3〉の点については、所論のような文言は、それによって同税の申告を委任した証左とするには到底十分でない。結局検査官の右主張の諸点も前記の判断を動かすに足りない。

以上のとおりであって、被告人が大西から相続税の申告のほか、譲渡所得税の申告をも合わせて二億四〇〇〇万円でやってやるといわれ、これに応じて大西に対し脱税を図ることを依頼したという検察官の主張は、証拠上到底支持することができない。

(二)  過少申告税額についての被告人の認識の有無について

1 大西が七億円の架空債務を計上した事実や申告税額を総額で約七〇〇〇万円とした事実を被告人に明示的に告げていないことは、大西証言全体の趣旨から明らかであるところ、では、被告人において、本件申告が伏見税務署になされる以前に、何らかの機会に右の事実を認識するに至っていたか否かについて、検察官は、被告人の自供調書に基づき、「被告人は、一〇月九日税務署提出用の相続税申告書に押印する際、同申告書に申告税額として七〇〇〇万円余りの額が記載されているのを見て、過少申告の事実を認識した。」旨主張する。

ところで、被告人の自供調書のこの点に関する内容は、「相続税額が七〇〇〇万円余りになっていたことについては、この申告書に判を押した際にチラッと見た際、その金額であったことは、承知しております。」というものであるが、えせ同和関係者に申告を依頼することや七億円もの架空債務を計上することを知らされていたなら格別、被告人のようにそういうことを知らされず、正規の税額が二億数千万円であると思っていた者にとって、僅か約七〇〇〇万円しか申告しないという事実は、チラッと見て知って、そのままで済ませられる事柄ではない筈であり、したがって、そういう場合に当然あるべき大西とのやりとり、あるいは心境などが全く書かれていない右供述記載は極めて不自然であり、そのこと自体で信用性が乏しいといわざるをえないうえ、被告人が当公判廷で捜査官から取調べを受けた際の状況について述べるところ、すなわち、当初は容疑事実を否認していたが、取調べに当たった副検事から、「わしの言うことを聞かんことには、なんぼでも日にちが延びる。」とか、「わしの言う通り聞かへんかったら、勾留は一か月でも二か月でもなんぼでも延ばすから、すんなりと早く返事をしたほうがええぜ。」とか聞かされたため、もし検察官の言うように述べないと、いつまでも勾留され、それでは身がもたないと考えて、検察官の言うままに「はい、はい。」と答えるに至ったという供述や、証拠上明らかな、本件で逮捕された当時被告人が肝臓病を患って体調が芳ばしくなく、自宅で寝たり起きたりの状態であった事実をも併せ考えると、被告人の右自供は、取調べ官の執拗な押しつけ尋問等に困惑し、病弱な身体への不安感も重なって、どうせ弁解を聞き入れてはもらえないというあきらめから、取調べ官に迎合してなした真意に基づくことの乏しい供述である疑いがもたれるのであって、証拠能力を欠くほどのものではないにしても、その信用性には疑問があるといわざるをえない。

また、なるほど常識的に考えれば、多額の相続税に関する申告書のような重要な書類について、全く目を通さずに署名したり、実印を他人に押させたりするものかどうかという疑問が抱かれるが、他面、司法書士というような本来地味で堅実な職業にたずさわる国家試験によって資格を得た者に対して一般世人が抱く信頼感や、相続税の申告書というものが、かなり丁寧に目を通さないと申告額すらわかりにくい体裁のものであること、更には、証人大濱宏子の「一〇月九日申告書などに押印する際、大西が、『にじむから私が押しましょう』と言った。」旨の証言から推測されるように、大西が、できるだけ相続人らに申告書の内容を読まれないように努めたと思われることなどを考え合わせると、被告人が当公判廷で「その日の夕方、点滴に行く必要があり(この点は大濱証言も裏付けており、また、被告人は、当時は月曜日、水曜日、金曜日に点滴を受けていたと述べるところ、一〇月九日は確かに水曜日である)、その時間に間に合うように押すだけ押してパッと出てしまったもので、大西の言うままに署名し、大西に捺印を任せたままで、書類に目を通さず、その内容を聞きもしなかった。」というのも、決して首肯できないものではない。

してみると、被告人の前記自供も、被告人の公判廷における供述を排斥して被告人に約七〇〇〇万円という過少申告税額についての認識があったものと認めるには到底十分でないといわなければならない。

2 次に、検察官は、大西証言及び被告人の自供調書に基づいて、「被告人は、大西に二種類の申告書すなわち税務署提出用の逋脱申告書と正規の税額を記載した申告書とを作成させ、この双方を大西から示されて押印(被告人の面前で大西が代わって押捺)しているのであり、右逋脱申告書には、被告人を含む相続人四人の相続税合計が七〇〇〇万円余りと記載され、正規の申告書には合計二億九〇〇〇万円余りと記載されているのであって、逋脱の意図が一目瞭然である。」と主張する。

この点に関する大西証言は、「自分としては正規の申告書は必要でないと思ったが、被告人が、妹達にはっきりした金額を知らしておくために(判を)もらっておくほうがよいと言ったから作成した。」というものであるが、この証言は、(a)大西証言自体によって明らかな、大西が捜査官に対する供述調書で述べている内容(「笠原の指示によって、正規の分と申告した分の双方に印鑑をもらった。」)と矛盾していること、(b)正規の計算による申告書が被告人の要請によって作られたのであれば、被告人に渡され、被告人方から押収されてしかるべきであるのに、検第26号証によって明らかなように、それが押収されたのは大西事務所においてであること、(c)もし正規の計算による申告書が、被告人の妹達に見せるためのものであるなら、被告人がそれを大西からもらってきて妹達に見せるか、あるいは一〇月九日に押印を求めた際、大西からそれを(それだけを)妹達に見せて説明することがなされてしかるべきであるのに、妹達や叔父星野種司の各供述調書によっても、そのようなことがなされた形跡は全く認められないこと、などに照らして措信し難い。被告人の自供調書の内容も大西証言に沿うものであり、これについても同じことが言える。

一方、被告人は、当公判廷においては、「自分としては依頼したとおり正規の計算による申告書のみが作られていると思っていたもので、迂闊なことと言われても仕方がないが、二通りの申告書が作られていること自体知らなかった。」旨供述する。そこで、この供述にかんがみ検討するに、次のような諸事実、すなわち、

(イ) さきに一で認定した本件過少申告がなされるに至る一連の過程における大西の行動、とりわけ、大西が、まず遺産の全容が判明し、その分割協議が一応できた時点で稲石税理士に相続税額を計算させて最初の申告書を作成させ、これに基いて笠原に脱税請負を依頼し、計上すべき架空債務額の指示を仰ぎ、次いで遺産分割協議が変更されるや、急拠新たな協議内容に従い稲石に正規の計算により申告書を作りなおさせ、それが届いた時点で、稲石に改めて架空債務を計上した提出用の申告書を作成させていること

(ロ) 大西が、すでにみたように、捜査官に対する供述調書においては、正規の計算による申告書に相続人の押印を求めたのは笠原の指示による旨供述していること

(ハ) 大西が、遺産分割協議書に各相続人の署名押印を得たのち、それに架空債務承継文言を加えていること

(ニ) 大西が遺産分割協議書及び申告書に各相続人の署名や押印を求めた際、「にじむから」というような口実をもうけて、すべての押印を代行していること、また、既述のとおり、正規の計算による申告書を被告人に渡していなかったこと

(ホ) 更には、関係証拠によって明らかなように、大西が、本件申告手続をしたのち、その年の一二月末ころ被告人に一件書類を交付した際、遺産分割協議書は架空債務を記入していないもの(検第24号証添付の資料4)を渡し、また、申告書控えの作成税理士欄に押印されていた「全国同和対策促進協議会京都府連合会本部」という記名捺印部分及び債務欄の同じ記載をした部分を、紙で隠してコピーしたものを被告人に渡していること

などに照らして考えると、提出用申告書のほかに正規の計算による申告書を作成したのは、専ら大西の企図によるもので、その目的は、まずは笠原に架空債務の計上額等を決定してもらう資料とするにあり、更に、それに笠原の指示を受けて各相続人の押印まで求めたのは、被告人を含む相続人から不正な過少申告を疑われた場合に、正規の分を見せて過少申告の事実、ひいては自分や笠原が過大な利得をしている事実を隠ぺいするためではなかったかと強く疑われるのであり、そうであるとすれば、大西としては、被告人に対しても二種類の申告書を作ったことは極力秘しておかなければならない筈である。このようにみてくると、右二種類の申告書の作成が被告人の要請によってなされたという前記大西証言及び被告人の自供調書は信用し難く、被告人の公判廷における供述の方こそ信用に価するものであるといわなければならない。

3 検察官は、被告人が、本件申告手続後大西から申告書写、相続税の納付書、領収証書など一件書類を受領している事実、それらには七億円余りの架空債務を計上して申告していることや、税務署に実際に納付した金額が書かれてある事実及びそれらを見れば過少申告がなされたことが分かるのに、被告人において大西に何ら異議の類を申し出ていない事実(これらはいずれも証拠上明白である)をとらえ、これらの事実は被告人に脱税の犯意のあったことを裏付けるに足る旨主張する。

しかしながら、これに対しては、被告人が公判廷において、「右一件書類を受け取ったのは一二月の終わりころだったので、正月が済んでからぼちぼち見ればよいと思って置いておき、正月明けに領収証書などを見てみると、どうしても大西に渡した金額にならないので、不審に感じ、一月一五日までは正月だから、それを過ぎたら一度大西に説明してもらいに行こうと思っているうち、一月一七日に逮捕されてしまった」旨弁解しており、そこでいう一件書類を受け取った時期の点を含めて右弁解を覆えすに足る証拠は存しないから、検察官の右主張も当たらない。

以上のとおりであって、その他検察官が縷々主張するところにかんがみ検討しても、如上の判断を動かして被告人に架空債務の計上による脱税につき犯意があったものと認むべき事情を見出すことはできない。

四  預金の名義書き換え等による脱税の犯意について

被告人が、父孟の様態が悪化して入院し、その死期が迫ったと思われるようになったころからその死後まもないころの間、孟名義の預金のうち相当部分を自己及び家族名義に切り替えたことは、さきに二の(2)で認定したとおりであり、また、名義を切り替えた預金が本件申告から洩れていたことは証拠上明らかであるところ、検察官は、右預金のうち、被告人及びその妻の名義にした分合計三九二八万七九六四円は、脱税目的による隠匿として被告人の犯則所得となる旨主張し、この主張に沿うものとして被告人の検査官に対する自供調書が存する。

これに対し、被告人は、当公判廷において、「父が死亡すれば預金が出しにくくなると世間の人から何回も聞いており、そうすると葬式代や急場に金が入用になった場合に困ると思って名義を切り替えたにすぎず、脱税の犯意はなかった」旨弁解する。

思うに、このように被相続人の死期が迫った時期に、あるいは死亡した直後に、被相続人名義の預金を隠匿して相続税の逋脱を図ることは世上しばしば見受けられるところであり、被告人についても、脱税の意図のもとに預金名義の切り替えを行なったのではないかという疑いが強く持たれないではない。しかしながら、

(a)  被告人が公判廷において本件の諸々の事情について供述するところは、これを仔細に検討しても、明らかに嘘言であると言えるような個所は見出せず、他の客観的証拠とよく合致し、全体的に高い信用性が認められること

(b)  被告人は、公判廷において、本件相続税の申告を大西に依頼し、遺産について同人に話した際、前記預金名義切替えの事実についても大西に告げた旨供述しているところ、右供述を覆えすに足る証拠はないうえ、さきに示した被告人の公判廷供述の全体的な信用性の高さに徴し、右の供述にも一応信用性を認めるべきものであり、そうだとすると、一方でその当時被告人が大西が司法書士としての仕事のほか税務についてもかなり通じている人物として信頼していたことも否定できないから、被告人としては、右のように大西に告げることによって、当該預金を遺産として申告するかどうかの判断・措置を大西に委ねたもの、したがって、大西の方で申告するかもしれないし、しなければ、しないでもよいのかもしれないと思っていた、あるいは右告げた際大西がもしそれは遺産として申告した方がよいと助言していればその助言に従ったであろうと解する余地も多分にあること

(c)  被告人は、公判廷において、預金名義を自己や家族の名義に切り替えても、近頃のように銀行がコソピューターでつながっている時世では、税務署の調査ですぐ突きとめられてしまうから、その分の相続税を免れられるとは思っていなかった旨供述しているところ、この供述も一応合理性あるものとして首肯できないではなく、右のような考えでいたからこそ、(b)で示したように大西に告げたとも見うること

などに徴すると、被告人の前記弁解はにわかに排斥し難い反面、自供調書の信用性には疑問も抱かれるのであって、してみると、右自供調書をもってしては、未だ被告人に脱税の犯意を肯認するには十分でないというべきである。また、その余の犯則金額についても、被告人に脱税の犯意があったことを認めるに足りる証拠は存しない。

五  以上のとおりであって、結局本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 青野平)

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